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東京24区の候補者の演説を聴く人たち=2024年10月15日午前11時27分、東京都八王子市、井手さゆり撮影

 自公過半数割れという衝撃の結果をもたらした衆院選。政治学者の秦正樹・大阪経済大学准教授は、20日夜に「自公過半数、微妙な情勢」と伝えた朝日新聞の情勢調査へのコメントプラスで「この記事は、もしかしたら日本政治を塗り替えるかもしれない」と書き込んだ。秦さんに、選挙期間中の世論の動きと情勢の変化を読み解く論考を寄せてもらった。誰もが先を見通せない不安定な政治状況をなぜ有権者は選んだのか――。

政治学者・秦正樹さん寄稿

 衆院選の選挙期間の最終盤、招待を受けて、筆者は学会に参加するために中国・上海の復旦大学を訪れていた。学会会場につくなり、多くの中国人研究者から「自公政権は終わるのか?」「次は誰が首相になるのか?」「自民はどこと連立を組むつもりなのか?」などなど、衆院選の行方に関して、矢継ぎ早に尋ねられた。筆者は占師ではないので、「日本のメディアは自公過半数割れの可能性を報じているが、どうなるかは投票箱を開けるまでわからない」と答えるほかなかったのだが、質問をしてきた中国人研究者はみな、目を輝かせ、日本政治の激震に並々ならぬ熱視線を送っているのは明らかだった。

 一方で、日本に帰ってみると、「自公過半数割れの可能性」が大きく報じられつつも、中国で感じた高揚感がほとんどみられないことに大きなギャップを覚えた。

 さらにいえば、選挙が終盤に向かうにしたがい目まぐるしく情勢が変化していたものの、そこにドキドキ感はまるでなく、台風前に漂う湿った生ぬるい空気とでもいうべきか、なんとなく「ヌルッとした感覚」を覚えていた。

 投開票日当日は選挙特番に出演をしていたため、自公過半数割れという衝撃の結果を目の当たりにして、番組の共演者やスタッフらと興奮を共有しつつ、ほとぼり冷めやらぬまま深夜3時ごろに帰宅した。ところがテレビをつけると、NHK以外ではいつもと同じ深夜のショッピング番組だけが流れていた。興奮しているのは自分だけかとふと我に返り、早々に就寝してしまった。

 70年あまり政権の座に居続けている「絶対王者」の陥落を前に、「ついに悪い為政者を成敗したぞ」といった熱狂を全く感じられないのはなぜなのだろうか。

 そして筆者が今も感じ続けている「ヌルッとした感覚」の正体は、一体なんなのだろうか。

歴史的な結果、だが…

 周知の通り今回の衆院選では、自民党191議席と公明党24議席をあわせて合計215議席となり、過半数まで18議席も足りないという歴史的な結果となった。

 自民党は1955年の結党から69年間のうちおよそ94%の時間を「安定与党」(安定した国会運営を行うために必要な議席数)として君臨し続けてきた。そのことを考えても、戦後日本政治の新たな1ページと言っても決して言い過ぎではないだろう。

 もちろん、自民党(と公明党)の過半数割れは初めてではない。直近では2009年の衆院選において、自公合わせても140議席しか獲得できなかったことで、民主党を中心とした政権交代が起きた。当時の日本は、高揚感にあふれ、まさに熱狂の渦の中にあった。投票率もほぼ70%に達し、「自民党を政権の座から引きずり下ろしてやった」という有権者の強い意思があったことは間違いない。

 対して、今回の衆院選はどうか。

 投票率に関して言えば、戦後3番目に低い53.8%と発表されている。自公過半数割れという衝撃的な結果と比較して、人々の関心とかエネルギーといったものは感じられず、チグハグ感は否めない。もちろん、自公を引きずり下ろしたことへの熱狂や強い意思も感じられない。

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衆院選投開票日の前日、党首や候補者の街頭演説に集まった人たち。候補者らは下方の木の下におり、警備のため聴衆は離されている=2024年10月26日午後6時24分、東京都内、朝日新聞社ヘリから

 今回の衆院選は、結果もさることながら、様々な点で「異例ずくめ」だった。戦後最短となる内閣発足からわずか8日後の解散となったことや、自民党の大物政治家が非公認となったことなどがしばしば取り上げられた。こうしたことも注目に値するのだが、筆者が最も「異例」だと感じたのは、選挙期間中の世論の奇妙な動きである。

 少なくとも2000年以降の…

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